スタンフォード大学アジア太平洋研究所研究員

櫛田 健児 Kenji Kushida (第1回)

 

日本人がシリコンバレーを「攻略する」方法 

LOGSTAR / 2016/06/28 text by ログスタ編集部

 

世界的な名門大学、スタンフォード大の日本人研究者や日本人留学生らのインタビューをお届けする「スタンフォード大の日本人たち」。第1回目はスタンフォード大学アジア太平洋研究所で研究員を務める櫛田健児さん。櫛田さんの専門は、IT(情報技術)の歴史や米西海岸シリコンバレーのイノベーションの仕組みを政治経済学的に分析することです。日本がシリコンバレーから学ぶべきことは何か。どうして日本の産業は出遅れてしまったのか。ログスタ編集長の小野里晃が徹底的に聞き出しました。全4回に分けてお届けします。

 

櫛田健児さん① 日本ガラパゴス化した1番の理由

■ヒラリー・クリントンさんの娘が同級生

小野里スタンフォード大学に来たきっかけは?

 

櫛田:私は学部からスタンフォードです。東京育ちで、都内(といっても郊外)のインターナショナルスクールに通っていました。その頃から、アメリカの大学に来るということが前提だったので、いろいろ大学を見て回っていたら、圧倒的にスタンフォードが素敵だったので来ました。

 

小野里:なぜ素敵だったと思ったのでしょうか?

 

櫛田:アメリカの東海岸の老舗の大学は、キャンパスと都心の街が一体化しているところが多く、それはそれで良かったのは確かです。ただ、私は東京育ちだったので、こちらのちょっと「田舎チック」であり、広々とした環境が素晴らしいなと思いました。天候が良いので、スタンフォードの人達は、「外を走り回りながら勉強をしっかりとする」という学風と文化があり、年中外を走りまわれることがいいなと思いました。

 

小野里:スポーツも結構お好きですか?

 

櫛田:サッカーとテニスなどをやっています。私が学部生の時は、スタンフォードのサッカーチームは全米4位でした。今もテニスで活躍をしている双子のダブルスのブライアン兄弟は、全米トップとして現役で活躍していました。なのでものすごく上手だけど、全然チームに入れないという人も多くて、そういう人たちとかなりスポーツをしました 。

 

小野里:他にもどなたが同級生でいらっしゃいましたか?

 

櫛田:クリントン米元大統領と、現在の大統領候補のヒラリー・クリントン元国務長官の娘のチェルシー・クリントンさんが同級生です。入学式と卒業式にはクリントン夫妻が来ていました。入学した時は、クリントンは現役の大統領でしたので、セキュリティーがいろんなところにいて、入学式の時は屋根の上に護衛狙撃隊みたいな人がたくさんいました。娘の普段の護衛のためには、寮の隣の部屋に筋肉隆々とした男性が住み、彼らは学生のふりをして授業に付き添っていたりしました。学生のふりをしているのですが、雰囲気が「タダ者」ではないし、年齢もちょっと上で、シャツの下に銃を持っているので肩がボコってなっているんですよ(笑)。 

 

小野里:チェルシーさんは、勉強ができたのでしょうか?

 

櫛田:とても優秀でした。親が2人とも優秀ですしね。彼女は政治学の専攻だったのですが、とても真面目に取り組み、知識豊富で、すごくできる人だと聞いていました。有名な話だと、彼女がSPの目を盗んで、寮の裏口から抜け出し、どこかに行ったことがニュースになった話があります。

 

小野里:おちゃめなところがありますね。学部の時の専攻は?

 

櫛田:私は経済学と東アジア研究と国際関係を3つ専攻しました。ダブルメジャーに加えて、国際関係を学ぶ形でした。

 

小野里:日本の大学に行こうというのは全然なかったのでしょうか?

 

櫛田:全くなかったですね。私の親が、海外の大学に進学をしてほしいということを前提に私をインターナショナルスクールへ通わせました。父親が中学3年の頃に部活を全て辞めて高校入試の勉強に一本化したり、高校も3年目に受験勉強のために部活を全部辞めて勉強し、一浪するなど、中々苦労をした経験の価値に対する疑問もありました。その後父親がアメリカに留学し、アメリカ人の母親と出会ったので、私の進路は最初から海外の大学に向いていました。

 

■なぜ日本のITはガラパゴス化したのか

櫛田 健児(くしだ・けんじ) スタンフォード大学アジア太平洋研究所ジャパンプログラムリサーチアソシエートとして、日本の政治経済、日本やシリコンバレーの情報通信産業(IT)を分析。スタンフォード大学アジア太平洋研究所日本研究プログラムおよび同大学工学部アジア・米国技術経営研究センターが企画・運営する Stanford Silicon Valley – New Japan Project を立ち上げ、プロジェクトリーダーを務める。

 

小野里:現在の研究内容について教えてください。

 

櫛田:政治経済という分野で研究をしています。特に様々な産業界や新しい技術に対して、どのような規制があり、どう方向付けられるのか、その規制はどういう政治力学で動いているのかを研究しています。世界中のどのような業界であろうと、様々な規制が関係して、グローバルな競争に影響を与えますので、すべてを包括的にみることが政治経済です。

具体的には、
①ITやクラウドコンピューティングなどはどのように発展したのか
②シリコンバレーはどういう政治経済の力学でできあがったのか
③日本のIT産業でガラパゴス化(日本市場のみで通用し、国際的な競争力を失うこと)した分野は、どうしてそうなったのかという問題意識を持っています。

 

小野里:なぜ日本の一部産業は、ガラパゴス化したのでしょうか?

 

櫛田:たとえばNTTドコモのi-modeなどは、ネットワークを持ったキャリアがサービスを展開しているかたちを取っていましたよね。キャリア自身が、付加価値のあるサービスを展開し、端末は専用機でした。しかし、キャリアが国際展開する方法がわからず、その結果端末メーカーも、コンテンツのエコシステムも全部国内とどまりになってしまいました。日本は「後続者のいない先行者」になっていたわけです。

アップルやグーグルはまったくの逆です。キャリアとは関係なく、プラットフォームがiPhoneでとアンドロイドのオペレーティングシステムなのでインターネットに繋がればなんでもいいということでした。なので国際展開も圧倒的に楽だった訳です。日本の「後続者のいない先行者=ガラパゴス状態」は携帯電話の分野だけではありません。電子マネー、日本のフェリカを使った「お財布携帯」、「Suicaカード」などは、全く同じ力学で国内止まりになっていました。

今も、日本のメーカーやヨーロッパのメーカーは、自動運転で盛り上がっています。何らかのスマートインフラと連動させて自動運転をやろうという戦略です。ただ、そのスマートインフラというのは、誰が国際展開するのか。どのような企画と設計でやるのか。

一方、グーグルやアップルがやろうとしている自動運転は、インフラとは関係なく、どんなところでも自立して出来るということです。インフラと連動が必要な自動運転と比べてどちらが世界を取れるのか。私が賭けるのであれば、インフラに依存しない、「スマホ型」の自動運転の方がイケると思うわけです。

日本では、トヨタ自動車や政府が、水素自動車で今盛り上がっています。水素を供給する「水素版ガソリンスタンド」というのは、日本では国と一緒にやることが可能ですが、世界で展開するとき、インフラの整備を誰がやるのかは不明です。これもガラパゴス化してしまうのではないかと心配です。

 

■「アメリカも30年前は日本と同じだった」

小野里:携帯電話について。日本は2000年前後くらいに世界に先駆けて発達し、誰もが持っている物でした。アメリカに比べても先をいっていたと思うのですが、どういう戦略をとれば、ドコモの携帯がアメリカでもっと普及したのでしょうか?

 

櫛田:1990年代と2000年代は、ほとんど日本が先行していましたね。i-modeが出たのは98年、第三世代の3Gが出たのは2001年から2003年くらいでした。ドコモは当時AT&Tと組み、AT&Tワイアレスのマイノリティステークを買って、アメリカに展開しようとしました。しかし、AT&Tは、やらないということになり、ITバブルが弾け、入れていた資金が小さくなってしまいドコモはi-modeを展開することができませんでした。

ヨーロッパでの圧倒的に強いプレイヤーは、ノキアとエリクソンの端末メーカーでした。そこでドコモは、i-modeを入れる用の端末を作ってくださいと交渉しに行っても、全く無視されたわけです。ヨーロッパでいくつか買収し、マイノリティステークを買うなど試みてみたが、端末がないドコモは展開ができなかったわけです。

日本では、キャリアが勝ち組で、一番パワーを持って、サービスを展開していました。欧州では、メーカーが一番で、付加価値をメーカーからサービスキャリアに移す競争には勝てませんでした。

アメリカは、どちらも強いプレイヤーがおらず、普及にいたるまでに時間がかかりました。そうこうしているうちに通信ではなく、コンピューター業界からグーグルとアップルがやってきて、全部一掃していったという感じです。

 

小野里:アメリカに本腰を入れて攻めなかったんですね。

 

櫛田:ドコモにしても当時の組織体制をみると、国際舞台にあまり強くなかったのは明らかです。結局、アメリカのAT&Tワイアレスのマイノリティーステークを買いましたが、あの会社は結局潰れました。それを別の会社(Cingular)が名前を受け継ぐ形で買収したので、今のアメリカのAT&Tは、当時のAT&Tワイアレスと別会社なんです。そのような背景があるので、ドコモにも買収などをして手に入れるタイミングはあったと思います。経営が良くなかった時に資本参加すればよかったのですが、ドットコムバブルが弾けてしまい大損を出したため、「海外市場は危ない」と内向きになってしまいました。世界で勝負するよりは日本で勝負した方が「競争相手は少ないしラクだ」という論理です。

実はアメリカも日本と同じような時代がありました。IBM、HP、GEなどの大企業が、①終身雇用②年功序列③社内R&D④関連会社の囲い込み、を行っていた時代がありました。そこから70年代の大不況、オイルショック後の大不況があり、日本との競争に負け続けました。そこで汎用品ではない、高付加価値のデザインに特化して、モノを外注委託し、ソフトウェアで勝負する体制に移行したうえで、どんどんスタートアップを買おうということになりました。大企業が買ってくれるという期待があるから、こちらではスタートアップがたくさん出来ます。どんどん好循環が生まれてくるわけです。

アメリカは昔、日本と似た様なモデルでしたが、日本の競争に負けた側面もあり、「打倒日本」ということで、ここ30年でアメリカがオープンイノベーションになり、日本大企業に対して強くなりました。

ヨーロッパの競争は、80年代に日本に負けていた背景もあり、EUはシングルマーケットを作り上げました。その動きを加速させたのも、ヨーロッパの国に比べたら大きい日本が、ものすごく脅威だったというのもあります。実は、日本のマーケットの大きさと国の強さが世界情勢をいろいろ変えているわけです。

 

(続く)

 スタンフォードで活躍する日本人シリーズ
【スタンフォード大学アジア太平洋研究所研究員 櫛田健児】第2回は7月5日(火)公開予定
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